2026-07-29
境界知能の子に、良い教育や支援をすれば大丈夫なのか|お金では変えられなかったもの
はじめに
私の弟は26歳で、IQは68です。診断は軽度知的障害で、家族の中では「グレーゾーン」と呼んでいます。私は当事者ではなく、母が弟を育てるのを兄としてすぐそばで見てきました。
この記事で書くのは、良い教育や支援を与えれば大丈夫なのかという話です。
金額の話ではありません。お金をかけた家と、かけられなかった家で、何が起きたかという話です。
弟のほうが、どう見ても失敗していました
まず、弟の話から書きます。
弟は中学を卒業したあと、学力の問題で支援学校に進みました。入学して1年も経たないうちに学校から脱走し、夜中に私が車で迎えに行きました。その後は物に当たり、家族への暴力や暴言が増えました。
社会に出てからは、仕事を何度もクビになりました。給料が入っては使い切り、私や母に「お金を貸してほしい」と連絡してくる。2025年の末には、消費者金融から100万円を借りていたことが分かりました。
中卒で、一時期は引きこもり、就職しては辞める。キャリアとしては絶望的な状況でした。
一方で、順調に見えた子がいました
弟の同級生にも、同じような特性を持つ子が何人かいました。
そのうちの一人は、弟よりも勉強ができました。高校にも進学し、就職もストレートにしていました。狭い地域なので家庭の様子も分かるのですが、かなりの収入がある家庭でした。
進学、就職、家庭の経済力。分かりやすい指標で並べれば、弟とは比較にならないほど「失敗」がありませんでした。
その子が、ある日、事件を起こし、全国ニュースになりました。
詳しくは書きません。ただ、一度そうなってしまうと、そのあとは元には戻りません。
今、二人はどうなっているか
弟は今、一人暮らしをしています。自分の給料で妹にプレゼントを買い、「アラスカで生物ガイドになる」という夢のために貯金をしています。
10年前の私たち家族からは、想像できなかった未来です。
何が違ったのか
私はこの二つを、ずっと考えてきました。
学力ではありません。弟の方が下でした。 経済力でもありません。その子の家の方が上でした。 進路でもありません。その子は高校にも進学していました。
私が見ている限り、違いは二つだったと思っています。
一つは、本人の自尊心。もう一つは、親の在り方です。
これは統計でも研究でもなく、あくまで私が見てきた範囲での見方です。それでも、この二つ以外に説明のつく差を、私は見つけられていません。
子どもは、人間です
ここが、この記事でいちばん書きたいところです。
良い教育、良い支援、良い環境。世間一般では、それらは良いものとされています。実際、多くの場面で正しいのだと思います。
ただ、そもそも良い教育や支援とは何でしょうか。
誰にとって「良い」のですか。
ここの意味を、一度よく考えてほしいのです。
学校にとって良いのか。支援者にとって良いのか。親にとって良いのか。それとも、本人にとって良いのか。
この四つは、一致しているように見えて、しばしばバラバラです。そして多くの場合、判断しているのは大人の側で、本人の意見は最後まで聞かれません。
うちの弟の支援学校の件が、まさにそうでした(後で書きます)。大人が全員「良い」と判断した選択が、本人にとっては良いものではありませんでした。
そして、相手はグレーゾーンの子です。子どもは、設定を書き換えれば動く機械ではなく、人間です。
良い教育や支援を与えれば解決するなら、世の中にこれほど悩んでいる親はいないはずです。
塾に行かせれば成績が上がる。療育に通わせれば伸びる。良い学校に入れれば環境が整う。もしそれで済むなら、お金のある家庭は誰も困っていないことになります。
でも、実際はそうなっていません。
社会が教えてくれない、本当のこと。
きょうだい児が30年見てきた真実を、1冊にまとめました。
良かれと思った支援が、新しい問題を生んだ
うちの家で、実際に起きたことを書きます。
弟が15歳のとき、高校進学の時期でした。学力の問題で、支援学校か普通高校かの選択を迫られました。学校の先生や支援員と何度も協議した結果、普通高校は弟の学力では厳しいということで、支援学校を選びました。
大人たちは全員、弟のためを思って決めました。私も、それが最善だと思っていました。
その支援学校は、弟のようなグレーゾーンだけでなく、重度のハンディを持った子どもたちも多くいる環境でした。
入学して1年も経たないうちに、弟は学校から脱走します。当時のことを弟に聞くと、こう言っていました。
「自分はこんなところにいる人間じゃない」
弟も私たちと同じように、支援学校という環境に後ろめたさを感じていたのです。
その後は、無理やり入れられたという反動から、物に当たったり、家族への暴力・暴言が増えたりしました。
周りが良かれと思ってやったことが、新しい問題を生んだ。
支援を足したのに、状況は悪化しました。制度や支援を取り入れすぎることで、かえって子どもの自尊心を削ってしまうことがあります。弟の支援学校の件が、まさにそうでした。
お金があると、かえって危ういことがある
ここからは、私が考えていることを書きます。
お金があると、たいていの問題は先回りして回避できます。塾に行かせる、家庭教師をつける、良い環境の学校に入れる、専門家に診てもらう。選択肢が増え、失敗する場面を減らせます。
ただ、グレーゾーンの子にとって、失敗する場面が減ることが、必ずしも良いこととは限りません。
理由は三つあります。
一つは、成功体験が積めなくなること。 回避された失敗は、乗り越えた経験になりません。「自分でなんとかした」という記憶が残らないまま、年齢だけが上がっていきます。
二つ目は、できないことを隠したままにできてしまうこと。 環境が整っているほど、本人の苦手は表に出ません。周囲からは「やる気がない」「面倒くさがっている」としか見えず、本人も自覚しないまま進んでいきます。そして隠しきれなくなる場面は、いつか必ず来ます。それが社会に出た後だと、受け止めてくれる人はもういません。
三つ目は、支援を足せば足すほど、本人が「自分は支援される側なのだ」と受け取ってしまうこと。 支援学校の件が、まさにこれでした。大人が良かれと思って積み上げたものが、本人にとっては「自分はそういう扱いをされる人間なのだ」という証拠になっていく。
お金があると、この三つが起きやすくなります。手を打てるだけの余裕があるので、打ってしまうからです。
自尊心は、どこで削られるか
自尊心は、大きな出来事ではなく、日常の些細な場面で削られていきます。
弟が幼稚園の頃、お遊戯会の本番で、舞台袖から出られなくなったことがありました。そのとき先生方は「お兄ちゃんはできているよ」「なんでできないの」と声をかけていました。
励ますつもりだったのだと思います。今でも思い出すたびに、私は怒りが込み上げてきます。
弟はあのとき、舞台に立てないという極度の緊張の中で、一人で戦っていました。そこに比較の言葉を浴びせられた。
グレーゾーンの子は、小さい頃から些細なことで比べられ続けています。 そして「自分にはできない」と思い込み、大人になってから消極的になる。仕事で嫌なことがあると逃げ出し、続かなくなる。
お金では、この蓄積を止められません。むしろ、良い環境に入れるほど周囲のレベルは上がり、比較の機会は増えます。
点数より先に、自尊心
私は、テストの点数と自立に相関関係はないと考えています。
点数と自尊心を縦横に置くと、いちばん良いのは両方高い状態です。ただ、点数を上げようと強制すると自尊心が削れるので、そこは無理に狙いません。
点数は低くても自尊心が高い状態と、点数は高くても自尊心が低い状態を比べたら、前者の方が前を向いて自立へ進めます。
そして、両方低い状態がいちばん危険です。もし今そこにいるなら、点数を上げに行くより先に、自尊心の方を戻してください。順番は、点数より先に自尊心です。
親の在り方とは、判断の軸のこと
もう一つの違い、親の在り方について書きます。
これは「優しいか厳しいか」ではありません。一つ一つの判断が、何に向かっているかです。
私が思う判断の軸は、一つだけです。
その判断は、親のエゴではないか。子どもの自立に向かっているか。
将来安泰でいてほしいから勉強を強制する。健康でいてほしいからスポーツをさせる。どれも愛情ですが、本当に子どものためになっているかは、別の話です。
うちの母も、弟が仕事を何度もクビになり自暴自棄になっていた頃、1年ほど優しく接していた時期がありました。傍から見れば献身的な良い親子関係です。
でも、そのままいけば弟は今の環境に甘え、家から出なくなります。母は「最後まで面倒を見続ける」と言っていましたが、では母が亡くなった後はどうなるのか。
転機は、偶然でした。弟が職場を飛び出して夜中に実家へ帰ってきたとき、たまたま家の鍵がかかっていて、中に入れなかったのです。
このとき弟は、「もう自分で何とかするしかない」と腹をくくったのだと思います。その後、自分で仕事を見つけました。
迎え入れることだけが、正解とは限りません。
お金で買えるもの、買えないもの
整理します。
お金で買えるもの
- 時間(急いで進学させたり就職させたりしなくて良い)
- 選択肢(学校、環境、専門家)
- 情報(本、講座、相談)
これは大きいです。特に「時間」は決定的で、自立まで時間をかけられる家庭は、それだけで有利です。
お金で買えないもの
- 本人の自尊心
- 親の判断の軸
- 本人が「自分でやるしかない」と腹をくくる瞬間
そして、最終的に人生を分けるのは、後者の方だったというのが、私が見てきたことです。
親なきあと、お金を残せば大丈夫なのか
経済的に余裕があるほど、最後はここに行き着くのだと思います。良い教育を与え、良い支援を受けさせ、最後にまとまったお金を残す。それで大丈夫だろう、と。
私も、それで済むならどれほど良いかと思います。
ただ、うちの家で実際に起きたことを書きます。
弟は、給料が入っては使い切ってしまいます。そして私や母に「お金を貸してほしい」と連絡してくる。2025年の末には、消費者金融から100万円を借りていました。
グレーゾーンの人には、長期的な計画が苦手という傾向があります。『ケーキの切れない非行少年たち』にも同じことが書かれていました。万引きで捕まった子に理由を聞くと「お金がなく、盗むしかなかった」と言うそうです。
普通であれば、盗む→捕まる→社会的なレッテルが貼られる→結局自分の損になる、と想像できます。でも、それが難しいのです。だから、今この時に困ったら、後先を考えず、すぐできることを実行してしまう。
弟も同じでした。兄や母に借りるのは申し訳ない→借金→利息が膨らんで首が回らない→結局家族が肩代わり。先に相談してくれていれば、利息の分を企業に取られずに済んだのです。
お金は、使える人にしか効かない
ここから言えることは、一つだけです。
残したお金は、使いこなせる人の手に渡って初めて意味を持ちます。
うちでは、障害年金について決めていることがあります。本人が自分でお金を管理できるようになるまでは、あえて本人には伝えず、家族が預かっておくということです。
理由は単純で、存在を知るとすぐに当てにしてしまい、せっかくの備えが今の浪費に消えるからです。(これは本人のお金を取り上げるという話ではありません。最終的には本人へ渡す前提での、一時的な管理です)
つまり、お金があると知らせるだけで、その金は消えうる。
残す設計をどれだけ丁寧にやっても、受け取る側の状態が整っていなければ、同じことが起きます。
自分でコントロールできる子なら、話は違ったと思います
もし同じ額を、自分で判断できる子に残したなら、結果は違ったはずです。使い道を考え、時期を選び、必要なときに必要な分だけ使う。お金を、そのまま幸せに変換できる。
でも、グレーゾーンや境界知能の人は、自分で生きていく力の部分に、支えが要ります。使い道の判断、社会の中での立ち回り、そして何より、自分を大切にできるかどうか。
そこが十分でないまま、お金だけがある状態になったとき、その人が人間として幸せな人生を送れるかというと、私はそうは思えません。
だから、お金をかけることより大事なことの方が、実は多いのだと思っています。
そして、負担は必ず誰かに行きます
母は「最後まで面倒を見続ける」と言っていました。
ただ、母が亡くなった後はどうなるでしょうか。私や妹に飛び火する可能性は大いにありますし、何より、急に後ろ盾がなくなったときの弟の生活は、悲惨としか言いようがありません。
お金を残すことは、この問題を解決しません。先送りにするだけです。
解決に近づく唯一の方法は、本人が自分で生きていける部分を、少しずつでも増やしておくことだと思っています。
これは、既存のサービスでは埋めにくい部分です
最後に、構造の話を書きます。
「残す」ことは、専門家に頼めます。制度も、相談先もあります。
でも、「受け取る側を、使える状態にしておく」ことは、誰も担当していません。
- 医療や療育は、本人に関わりますが、期間も場面も限られます
- 学校は、在籍しているあいだだけです
- 行政の窓口は、担当が変わります
- 制度の設計は、お金の流れは作れても、本人の状態までは作れません
つまり、その子が生きていく力をつけるための日々の積み重ねを、継続して一緒に見ている人が、どこにもいない。
そしてそれは、制度や商品では作れません。日常の中の、小さな判断の積み重ねでしかできないからです。
私がここまで書いてきた自尊心の話も、判断軸の話も、全部そこに繋がっています。派手ではないし、すぐ結果も出ません。だからこそ、誰も引き受けていない部分なのだと思います。
これは、30年かけて比べないと出てこない話です
最後に一つ、断っておきます。
ここに書いたことは、統計でも研究でもありません。自分の家と、他の家庭を、長い時間並べて見てきた結果として出てきたものです。
事件を起こしたあの子は、当時は明らかにうまくいっていました。一時点だけを切り取れば、うちより順調でした。結果が出るまでに、20年近くかかっています。
だから、今うまくいっているかどうかで判断しない方が良い、というのが私の実感です。逆に、今うまくいっていなくても同じです。うちの弟がそうでした。
よくある疑問
教育や支援にお金をかけるのは無駄ということですか
いいえ。時間と選択肢を買えるのは、明確な強みです。
言いたいのは、かけたから安心、とはならないということです。かけた上で、自尊心と判断軸をどうするかが残ります。むしろ余裕がある家庭ほど、そこに向き合う時間を作れるはずです。
支援は受けない方が良いということですか
そうではありません。制度は補助として使うものだと考えています。
問題は、足せば足すほど良くなると思ってしまうことです。支援学校の件のように、本人が受け入れられる状態にないまま良いものを積み上げると、逆効果になります。何を足すかより先に、本人が今それを受け取れる状態かを見る必要があります。
失敗させた方が良い、ということですか
放り出せば良い、という意味ではありません。
弟が腹をくくったとき、突き放したのは母ですが、弟には私という連絡の取れる相手が残っていました。母と弟は一時的に疎遠になりましたが、実は誰かを介してつながっていたのです。
手を離す前に、離した先を用意しておく。 これが抜けると、ただ孤立させるだけになります。
親なきあとに備えて、お金を残しておけば安心ではないですか
残せること自体は、大きな強みです。ただ、それだけでは足りないと思っています。
うちでは、障害年金の存在を本人に伝えると、すぐに当てにして今の浪費に消えてしまうため、家族が一時的に預かっています。お金があると知らせるだけで、その金は消えうるというのが、実際に見てきたことです。
残す設計と同じくらい、受け取る側が使いこなせる状態になっているかが効いてきます。そしてそちらは、専門家に頼めません。
うちはもう、点数や進学を優先させてしまいました
私の弟は中卒で、暴力を振るい、借金を作り、仕事を何度もクビになりました。それでも今は一人暮らしをして貯金をしています。
状況は変わりうる、というのは事実として残しておきたいです。
おわりに
お金は、時間と選択肢を買ってくれます。それは本当に大きい。
ただ、良い教育や支援を積み上げれば済むのなら、誰もここまで悩んでいないはずです。子どもは人間で、こちらが良いと思ったものを、そのまま受け取ってくれるとは限りません。
自尊心と、親の判断の軸。この二つだけは、いくら積んでも買えませんでした。そして最後に効いてくるのは、その二つの方だった——というのが、二人を見てきた私の結論です。
関連記事
一人でできる支援カウンセリング書
グレーゾーンの子と家族の歩き方
きょうだい児が制度もネットも探し尽くした末に辿り着いた、グレーゾーンの子への接し方の「本質」。
読み終えたら、もう情報を探し回らなくていい。
リリース記念価格・購入後すぐ読める(スマホ・PC)
コメント
ヨゾラ
きょうだい児が家族と一緒に作っているサービスです。生きづらさを感じている人に、その人に合った答えを届けます。
ヨゾラについて詳しく見る →